大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)6013号 判決 1962年12月25日
原告 渭川健三
右訴訟代理人弁護士 東野丈夫
被告 大阪市
右代表者大阪市長 中井光次
右指定代理人大阪市事務吏員 平敷亮一
同 山本豪
同 飯原忠孝
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、昭和二〇年末頃本件土地の西側に隣接する土地上に南側は鶴見橋通一丁目商店街の道路に面し、本件土地との境界線一杯に木造亜鉛鋼板葺バラツク建家屋一棟を建築したが、右家屋は、右商店街に面した部分は約八坪の平家造りで板壁となつており、これに続いた裏側は普通の壁のついた延坪約一二坪の二階建となつていた。原告が右家屋を建築した当時本件土地は大阪市の下水道敷地として地上には建物はなかつたが、昭和二一年頃寺田和義が右土地上に前記商店街の道路に面し間口は殆んど右下水道敷一杯に奥行約一〇間の亜鉛鋼板葺平家建バラツク一棟を建築したが、原告は、寺田が右建築をするにつき何ら異議を述べなかつた。しかし、その後右家屋に設備された雨樋が不完全であつたのと両家屋が密接して建てられてあつた為降雨の際右家屋の屋根の雨水が原告所有の前示家屋に流れ当り、原告の右家屋が前示のとおりの木造バラツク建で防水設備が完全でないのと相俟つて、自然の朽廃の時期よりも早く腐蝕したので、原告は、昭和三二年三月頃前示家屋の内二階建の部分を毀ちこの部分を新築したことを認めることができる。
原告は、右のように旧家屋を毀ち新築しなければならなくなり損害を被つたが、右は被告の不法行為によるものであると主張するので、順次判断することとする。
原告は、被告は寺田が本件土地上に家屋を建築することを知りながら、下水道敷でかつ大阪市の道路である右土地を貸与したのであつて、これは違法な処分であると主張し、本件土地が国の所有物で被告が管理する下水道敷であり、被告が昭和二二年四月一日頃から昭和二四年三月三一日までの間寺田和義に対し占用許可を与え使用を許したことは、当事者間に争いがない。しかし、下水道敷であつても、大阪市水道条例第九条第一項によると、「下水道敷ニシテ管理上支障ナキモノニ付テハ市長ニ於テ使用セシムルコトヲ得」と定められているのであるから、管理上支障がない場合には占用許可を与えることができるものであるところ、前示認定の事実、成立に争のない甲第一号証≪中略≫を総合すると、寺田は、昭和二一年頃たまたま本件土地が空地となつていたので、これを管理している被告の許可又は貸与を受けることなく勝手に右土地上に前記のような建物を建築して右土地を不法に占有するようになつた。被告は、寺田から右家屋建築完了後占用許可申請があつたので調査したところ、既に右バラツク建家屋が建築してあつたので、その撤去を要求したが、右家屋は本件土地と一部私有地にまたがつており、戦災跡で当時の情況では官民有地の境界の判定も困難な事情もあり、且つ当時は終戦直後の家の少ない時で転居に困るとのことであつたから、やむを得ず家屋がバラツク建であつたので、特に使用期間を短期間として占用許可を与えた。本件土地は副員約一間の下水道敷ではあるが、大阪市の道路ではなく(勿論空地があれば一般人が通行することを妨げるものではない。)、別紙添付図面に示すとおり鶴見橋通一丁目商店街と本件土地を含む南北に通ずる下水道敷とが十字形に交叉する地点に直径六〇センチメートルのマンホール、本件土地上の北側とその北方北側道路との交叉点にそれぞれ同様のマンホールがある外、右図面に○印で示す地点にそれぞれ同様のマンホールがあり、各マンホールに連通する内径三〇センチメートルの下水管が地下に埋没され、特に本件土地を含む下水道敷は附近より高い位置にあるので、下水は前示下水管を通じ東西両方に流下するようになつており、下水がつまつて排水に困難を来すようなことはなく、又本件土地上に前記程度のバラツク建家屋があつても、下水道掃除その他管理上支障がなく、実際にも下水がつまり地上にあふれ出たようなこともなかつたことを認めることができる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲の証拠と対比して信用しない。そうすると、寺田が本件土地上に既に家屋を建築してあつた為当時の住宅難の時代に被告が寺田に対しやむを得ず前示条例の規定により前記のように短期間に限り右土地の占用を許可し、同人にその使用を許したことは、適法な行為であるといわなければならない。原告は、被告は地方自治法第二条第三項第一号に定める義務に違反して右占用許可をし右土地を貸与したのであるから違法である旨主張するが、右規定は、普通地方公共団体である被告の一般的行政事務を例示したものにすぎないことは、その規定の趣旨から明らかであつて、この規定があるからといつて、個人が具体的な権利として被告に主張することはできないものと解すべきである。従つて、たとえ原告が寺田の建築した家屋によつて損害を被つたとしても、前示認定のように本件土地の占用許可が下水道敷の管理に支障がない以上、右許可処分が違法であるということはできないし、右許可処分と原告の損害との間には勿論相当因果関係がないといわなければならない。
原告の右主張は採用できない。
原告は、被告は右占用許可期間を経過した後も寺田をして前示家屋を撤去させず、更に昭和二七年三月一〇日附書面で右撤去を約束しながら、これを履行しなかつた旨主張し、寺田が本件土地上に建築した家屋が現在まで存在していることは、被告の明らかに争わないところである。しかし、被告が昭和二七年三月一〇日原告に対し右家屋の撤去を約した旨の原告本人尋問の結果は、弁論の全趣旨から信用できないし、前示甲第一号証によつても、右約定があつたことを認めることはできない。その他に右約定があつたことを認めるに足る証拠はない。被告が前記占用許可期間経過後寺田をして右家屋を撤去させることは、被告の寺田に対する権利ではあるが、右占用許可が前記のように適法行為である以上、原告に対する関係で義務であるということはできないものと解すべきである。そして、原告の被つたとする損害と被告の不作為との間に因果関係があるとするためには、被告に作為義務があることを要するところ、右のように原告に対する関係で契約又は法律上被告の作為義務の認められない本件においては、被告が本件土地上の、家屋を撤去させなかつたことと原告の損害との間には相当因果関係がないものといわなければならない。のみならず右甲第一号証、証人水本秋義、瀬戸愛子の各証言によると、被告は、前示のとおり短期間内に家屋を撤去する約定で昭和二四年三月三一日まで寺田に対し本件土地の占用許可を与えたが、寺田は、右約定に反し右期限後右家屋を撤回しなかつたので、被告は、係官をして撤去の交渉をさせ口頭又は書面で期限を付して撤去を請求して来たが、昭和二五年か二六年頃寺田は右家屋を亀谷一郎に売却したので、昭和二六年一〇月二三日亀谷に対し六ヶ月以内に撤去するように請求したが、同人もこれに応じなかつた。その頃原告は、被告の公聴課に本件下水道敷を無断で占拠している者を取締つてほしい旨の申出をしたので、被告の公聴課では、右事情を記載した書面(甲第一号証)を原告に送付した(右書面送付の点は、当事者間に争がない。)その後も被告から右亀谷に家屋撤去を交渉していたが、昭和三三年八月頃亀谷は、右家屋を増田及び藤田に売却したので、同人等にもしばしば撤去を要求しているが、同人等はその履行をしないで現在に至つている。そして、右のように撤去義務を負担する場合、家屋があるため下水道がつまつたり、破損したりするような障害があり、放置すると著しく公益に反すると認められる場合には行政代執行により強制的に撤去することができるが、本件においては、前示のように下水道の管理に支障もなく、又本件土地は、道路ではないので、下水道敷上に家屋があるというだけでは行政代執行をすることができず、前記のように家の所有者に変更があつた等の事情もあつて、家屋の撤去が実現できないのであつて、被告が徒らにこれを怠り放置しているものでないことを認めることができる。右認定の事実からすれば、被告には原告の主張するような故意又は重大な過失があつたということはできない。
次に、原告は、原告の旧家屋の腐朽の原因は、寺田の過失と被告の過失との競合により生じたものであると主張するが、寺田の過失に基因したか否かは別として、既に認定したところによれば、被告に過失の責むべきものがあつたとは認められないし、原告の被つたとする損害と被告の不作為との間には相当因果関係が認められないから、原告の右主張は採用することができない。
そうすると、原告の本訴請求は、損害額につき判断するまでもなく失当であることが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡野幸之助 裁判官 大久保敏雄 鈴木清子)